kawausonotetugakuのブログ

哲学書や思想書を使って現代社会を分析していきます。

ルソーと孟子の思想を5分で解説

ルソーと孟子の思想の共通点は人間が憐れみの心があるとして性善説に立っている点です。

まず、孟子から見ていきましょう。

『なぜ人にはみな人に忍びざるの心があるかというと、今かりに突然幼児が井戸に落ちようとするのを見れば、誰でもはっと驚き深く哀れむ心持ちが起こって助けようとする。それは子供を救ったのを手づるに、その両親に交際を求めようとするからでもなく、村人や友人にほめてもらおうとするからでもなく、見殺しにしたら悪口を言われて困るというので救うのでもない。利害損失を考えた結果ではなく、反射的にすることだ。』(『孟子 全訳注 』宇野精一  講談社学術文庫    2019年 P103)

つまり、誰でも子どもが井戸に落っこちそうになったら利害を考えずに助けるだろうということです。ですから、孟子は人間は誰しも憐れみの心を持っているはずだと言うわけなのです。

ちなみに孟子は人間を哀れむ心を惻隠の心と呼んでいます。

 

一方でルソーも人間には憐れみの心があることを『人間不平等起源論』という本で指摘しています。

『善意や友情すらよく考えてみれば、憐れみの情が特定の対象に、長いあいだ注がれるうちに生まれたものである。というのも、誰かが苦しまないことを望むということは、その人が幸福であることを望むことにほかならないではないか。惻隠の情とは、苦しんでいる者の立場において自分をみたときに生まれる感情にほかならないではないか。』(ルソー 中山元『人間不平等起源論』光文社古典新訳文庫 2013年 P105)

ルソーは友情や善意さえも憐れみの心から生まれたとする程に憐れみの情を根源的なものだと見なしています。さらには性善説に立っている点もホッブスとは異なる点でしょう。無意識にルソーが人間の共感性を含めているのも興味深いです。

 

『利己愛を作り出すのは理性の力である。そして省察がそれを強める。省察においては人間は自己のうちに閉じこもるのである。人間は省察しているあいだは、自分を苦しめ悩ませるものから遠ざかる。哲学こそが、人間を孤立させるのである。』(前掲書、P107)

ルソーが社会ができる以前の人間つまり、自然状態に置かれている人間の方が憐れみの情が強くなるという風に捉えていることがここから分かります。すなわち、理性が働く現代人の方が自己愛が強く憐れみの心が薄れているということです。

 

実は理性があるせいで憐れみの情が薄れると考える点も孟子は似たような指摘をしているのです。

『つまり、仁義礼智の徳は、めっきのように外から我が心を飾りたてるものではなく、自分が元来心にゆうするものなのである。』(『孟子 全訳注 』宇野精一  講談社学術文庫    2019年 P350.351)

つまり、人間は元々善の心がしかないのに後々に理性によって悪に転じると捉えている点がルソーと全く同じです。

 

ルソーと孟子という生きた時代も生まれた土地も違う哲学者が同じような結論に至るというのはとても面白いです。

東洋哲学と西洋哲学は遠いようで実は近いのかもしれませんね。

 

参考文献

孟子 全訳注 』宇野精一  講談社学術文庫    2019年 

ルソー 中山元『人間不平等起源論』光文社古典新訳文庫 2013年