『君主論』を5分で解説
さっそく本題に入ります。
『人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を、容赦なく傷つけるのである。その理由は、人間はもともと邪なものであるから、ただ恩義の絆で結ばれた愛情などは、自分の利害のからむ機会がやってくれば、たちまち断ち切ってしまう。ところが、恐れている人については、処刑の恐怖がつきまとうから、あなたは見離されることがない。ともかく、君主は、たとえ愛されなくてもいいが、人から恨みを受けることがなく、しかも恐れられる存在でなければならない。なお、恨みを買わないことと、恐れられることとは、りっぱに両立しうる。これは、為政者が、自分の市民や領民の財産、彼らの婦女子にさえ手をつけなければ、かならずできるのである。……人間は父親の死はじきに忘れてしまっても、自分の財産の喪失は忘れがたいものだから、とくに他人の持物に手を出してはいけない。』(マキアヴェリ 池田廉訳 『新訳 君主論』2010年)
例えば、皆さんは母親に強く当たってしまい、傷つけてしまった経験がありませんでしたか???一方で怖い父親に対しては恐れているために反抗なんてしないはずです。
マキアヴェリは君主言いたいのは愛される母親になるよりも怖がられる父親のようになる方が好ましいということなのです。
なぜ父親も恐れるのかと言えば、子どもにいつでも制裁を加えられる立場だからです。極端な話を言えば処刑を恐れるわけです。
『人間は困難が目に見えているような企てについては、かならず尻ごみするもので、まして城下のそなえが徹底していて、民衆の恨みもかっていない国を、たやすく攻め落とせるとは、だれしも思わない。』(前掲書、P65)
先程の例で考えれば処刑という困難をわざわざ選ぶような不合理な人間はいないわけです。
であるから、処刑(社会的制裁も含める)をいつでも行える人間つまり、恐れられている人物に歯向かう人はそうそう居ないと考えられます。
だから、マキアヴェリは
愛されるよりも恐れられよというわけですね。
参考文献